ちょっとしたズレが大きくなっていく

ここ数年の秋冬は『ねほりんぱほりん』を見るのが習慣である。
今回のテーマは『児童養護施設で育った人』であった。18歳になると施設から出ていかなければならないが、以降の生活でぶつかりやすい困難を紹介していた。
就職して毎日ネクタイを結ぶことになったけれど、結び方を気軽に聞ける人がいないために退職まで至ってしまった例が挙げられていた。
そんな程度で辞めるのか。同僚にでも聞けばいいじゃないか。そもそも結び方を練習しないのが悪い。など、言われそうなことが浮かぶ一方で、これは非常に心当たりのある一幕であった。

「気軽に」聞けない

「相談」をするときは、それ相応の事情を用意しなければならない。いかに深刻で、困っているかを表現する方法を考える。実はほとんどの場合、それほど困っていないのだが、一人で(場数不足ゆえに)決めていいのか迷う時は往々にしてあるのだ。
また、相談のタイミングは慎重に計らなければならない。推理小説の犯人よろしく、相手の様子を伺うのが常である。後で何をされるか、罵られるか分からないからである。
しかし、相談をカジュアルにする人々も中にはいる。どうもそういった経験を日々積んでいるらしい、と集団に入って初めて知った。
なんでそんなに簡単に尋ねられるの?と幼少期から頭の中はパニック状態であった。よく、「間違うのが怖いんでしょう」と言われるが、それが全てではないと思う。尋ねることで、叱られたり、不審がられたりしないのか?と純粋に疑問なのである。

こういうのがズレだ。
当人にとって当たり前の世界がどうも周囲とは違う。染み付いていて、根元から拭い去る方法が分からないのである。