ピントが合う範囲が極端に凸凹している

自分は物心つく頃にはメガネを使っていた。一時視力が回復して外れたことがあったが、現在はやはりメガネやコンタクトで視力矯正をしている。
入浴は裸眼でも苦なくこなせるが、細かな汚れは見えないし鏡を見ても肌色の中に黒い点や線が見える、程度のものだ。全体的にぼやけている。

物理的な視力だけでなく精神的な視力も偏りがある。
数字を間違えることはよくあるし、ラインを引いたりして確認をしても間違っている部分だけスコン、と見落とす。
ある箇所のミスを厳格に直しても、別な箇所を代わりに思い切りミスするのである。
自分で自分を信じられない。常に絶対どこか間違っている。しかし一人で直すのは困難を極める。ミスの影すら視界から外れているからである。
編集者やマネージャーといった立ち位置の存在がいるのはとてもありがたい。数々の職場を経験して思うのは、途中の過程から最後まで真剣に確認してくれる人は数少ないのである。

一方で、ピンポイントな興味関心がある1点に関してはよく見えることがある。
発達障害の症例でこだわりの強さが挙げられるが、「あるある!」と頷くばかりだ。診断こそないが、自分は発達障害のスペクトラムに属するのだろう。

発達障害プロジェクト
NHKの複数の番組で結成した発達障害プロジェクト公式サイト。「困りごとのトリセツ(取扱説明書)」は、発達障害のある人が感じやすい「困りごと」を整理・解説し、当事者や周囲の人の体験談を集めたものです。

高校まではこれが厄介だった。他者は満遍なく話題を広げるの対して、自分は一向に特定の事柄だけを掘り下げていく。広く軽快に会話する人々の光景を眺めるうちに、いつまでも変わらない内容を語るのが、次第に怖くなっていった。浮いている、と痛烈に感じたのである。
大学入学後も2年ほど恐怖は続いた。だがある時、同じように1点を掘り続ける人やこれを受け入れてくれる人々に出会ったことで救いの光が見えた。

現在に戻ると、環境によってピントの合い方に大きくズレがある。
想定内のものを良しとする場では我ながらひどくミスをする。一つ一つは小さくとも、どんどん重なっていく上に修復ができずに、砂の中へ引きずり込まれていくようである。
受け入れられた、という実感がある時はピタリと視野が合う。ミスは変わらずあるが、自力ないしは他者の力を借りて「今どうするか」を対処できるようになる。