一人ではどうにもならないこと

単独でできることは、年齢とも共にカバーできることが増えてきた。
人の力を借りるのはいつまで経っても苦手だけれど、そういう時はお金の力を借りられるようになったからだ。
しかし、手を尽くしても「2人以上で」であるとか、「先天的に」なければできない事柄に面した時、ひどく動揺する。
これは年を重ねてもたとえ経済的余裕があっても変わらない。

原点は子どもの頃に遡る。
一人っ子で育った自分は実のきょうだいが欲しかった。似た歳の遊び相手がいるのが羨ましかったし、きょうだいがいる子どもは「人馴れ」しているように見えて、友達づくりに困った身としてはひどく差を感じた。
おまけに周囲は次々ときょうだいが増えていく。増えないのは既に兄姉がいる子だけだった。きょうだいが欲しい、なんて言っても自分1人ではどうにもならない問題だ。
その後の人生でも、きょうだいがいる人は人生を先取りしているという感覚が抜けきれない。遺産相続トラブル、家庭内不和の話を聞いたことがないといえば嘘だけれど、子ども時代にメリットを享受しているのではないだろうか?と考えてしまうのだ。
ちなみに自分は一人っ子のメリットをほとんど感じていない。極貧とまでいかずとも経済的余裕はギリギリだったし、親の意識過集中を1人で受け止めるのはきついものがあったのだ。

思春期は身体の変化が遅くて置いてきぼりな気持ちにたびたび襲われた。
周りはどんどん変化していくのに、自分はいつ変わるのか?と焦り、不安になり、心細くて仕方がなかった。
身体の変化が落ち着くと、今度は精神や環境の変化で置き去りを感じる。
恋愛、就職、仕事の重さ、結婚、子どものあるなし(そして人数)……常に先を越されて、知っている人も知らない誰かの姿も、近くにあったはずが遥か遠くになっていくのだ。
欲しいと望むほどますます届く距離から離れていく。物は諦められるし、案外待っている間に手に入るか興味を失う。しかし対人にまつわることはいつまでも飢えが治らず、泥沼に沈む一方なのである。
消化しきらない内に次々と重たいものを進んで取り込むからだろうか。