「負ける技術」を何故読んだのか

どこで見つけて何故購入したのか思い出せない。そんな「負ける技術」を読みきった。

鬱々としていて、ほぼ寝たきりから若干回復した頃に、とにかく落ち着く薬(と書いて本)を探していた。その末に辿り着いたのだろう。数日後にポストに投函されていた。
こんなに鬱屈としたエッセイを読んだのはいつ以来だろうか。正体の見えない「世間」から外れて活動している人の本を様々読んだけれど、皆結構カラッとしていて、その人なりに合う土地を見つけて巧みに生き延びている様子が見えた。「負ける技術」は、じめつきが全体的に染み渡っていた。
ブックデザインも中身をよく象徴していて、新品を購入したのに早速カバーにシミつけちゃったわーと思ったら、元々汚れジミが印刷されていたのだった。

「負ける技術」を読む直前に抱えていた鬱屈感の真理が見えた一文がある。

つまり「リア充爆発しろ」というのは「俺より楽しそうにしている奴は爆発しろ」という意味である。

「負ける技術」#116 真のリア充とは より

該当の回はネットでも公開中。

真の非リア充とは | 負ける技術 | カレー沢薫 | cakes(ケイクス)
クリスマスやバレンタインを楽しむカップルに非リア充たちが罵声を浴びせるのはもはやイベントになっていますが、カレー沢薫さんは、モテない人や失恋した人が本当の非リア充ではないと言います。では、真の非リア充とは一体……? リストラ、派遣切り、ハローワーク通いを経験した異彩の漫画家が送る、したたかに生きる日々を綴ったエッセイ。...

当時、ごく小さなものであったが「リア充」な人々の姿を日々目撃していた。一方的に知っている身近な人同士が、自分の見えないところで仲良く遊んでいる様子が垣間見えた時、なんとも居た堪れないのである。かと言って、自分がそうなりたいとのかと言えば答えはノーだ。己のペースで一人淡々と過ごしたいし、休日の度に誰かと遊ぶ姿を想像すると気が狂う。しかし、気が狂うなどと考える自分はおかしいのか?脳みその構造が変なのか?と疑問も浮かび、内面で問答を繰り返した。微々たるものも山となると重圧で、残念ながら自分は藁でできた家のように軽く吹っ飛ぶ精神構造であった。ぺしゃんと潰れてしまった。
少し回復してきた矢先に読んだのはこの本であった。読み進めると気分は曇り空になったが、同時に境遇が分かる描写があって声を出して笑った。能面になりながら共感したのはBBQ絡みのネタである。
自分もまたこの著者と同じように、呪いにも似た感情の湿気と長年生きてきたのだった。
基本的には湿度が高くて息がしづらいので、あの手この手で除湿剤をあちこちに撒いておくに越したことはない。たまに太陽の光が差すが、それに期待するようではおしまいだ。

晴れ渡る日でも雨の日向けでもない。雨が降るのかなーいつまで続くのかなーこの天気、という、はっきりしない薄暗い日にぴったりだった。