スピリチュアルよさようなら、と言い切れない

新興宗教やスピリチュアルは怪しいという意見を持つ人がいる。
自分の場合、新興宗教の傾倒経験はないがスピリチュアル系はハマりやすい傾向がある。
慢性的に迷走すると、収入が落ち込むこともあってなるべくお金をかけずに手に入る情報を辿る。
その入り口でよく微笑みかけているのが、占い・スピリチュアルコーナーだったり、検索エンジンの1ページ目に並ぶナントカコースを学んだナントカカウンセラーのブログであったりする。

前は一つ一つを読んでいたけれど、このところは飽きというか疲れというか、それはもういいやという気持ちになるようになった。
脱スピリチュアルをキーワードに情報を求めて出会ったのが「野の医者は笑う」という一冊。

沖縄の怪しいヒーラーたちを訪ねて回った臨床心理士の話なのである。

「野の医者は笑う」プロローグより引用

著者は大学院で臨床心理学を学び、沖縄の精神科クリニックで診療を行っていた。と本文中に書いてなければ、オモシロネタを探しに行くライターさんかな?と思ったままであろうくらいにコミカルな綴り、展開だった。
表紙イラストが見事に合っていた。ノリがライトノベルか、短編集かと錯覚するかのよう。

「野の医者」とは作者独自のネーミング。良く言えば奇跡を起こして人々と癒す人、乱暴な言い方をすれば怪しくてトンデモ混じりな治療者の総称である。
この本の舞台は沖縄県だけれど、「怪しい癒し」の一例は巷で見かけるものばかりだ。祈祷系、健康食品、セミナー、ヒーリング、などなど。全国、いや世界共通なのだろうか。
実は、臨床心理士も野の医者の一種なのではないだろうか?という疑問の答えを探るべく、著者自ら癒しを(時に身体を張って)受けに行ったのがすごい。そしてその資金が、あの有名なトヨタの関連団体から出たというのが笑える。支給額は申請の半分だったというオチも添えて。

野の医者に会いに行っている間、著者自身は失業して野の医者ならぬ流浪の民になってしまう。だんだん本格的に癒し癒されていく姿が滑稽で真剣だった。著者を支えた奥さんお疲れさまです。
クライアントを癒すことで施術者が癒される、という発見は本当にそうだと思う。術を教える側になった人を「ドラゴン」と表現していたけれど、自らを癒している限りドラゴンになったとしても活動は止められないのだろう。
色々な要素が混じり、オリジナルもといコラージュになっていくスピリチュアル。いきすぎると合成獣になって破壊に走ってしまうのだろうな。人の命を奪う域までいったのはもはや癒しではなく怪物だ。いつ術者が喰われてもおかしくない。
本文中に出てくるブリコラージュの語源は、スピリチュアル世界住人の生き様を表すためにあるような言葉だ。
野の医者が次々と生まれた背景を調べるうちに、沖縄の、日本の歴史へとたどり着くのがドラマティックだ。何故セラピーとビジネスセミナーは絡んでいくのだろうと思っていたけれど、資本主義の疲弊を反映していることが見えてくると、線が繋がり出す。

自分が「野の医者は笑う」を面白く読めたのは、この本に登場しそうな人と実際に会ったことがあるのも一因である。沖縄で暮らしながら、占いをしたり謎の水を売ったりしていた人で、その時の光景が蘇って吹き出してしまった。
こういう人がごく自然に馴染む土地ってどういう風土なんだろう?と不思議だった。伝え聞いた沖縄の雰囲気とこの本を読んで浮かんだ情景がぴったり一致した。

「野の医者は笑う」は、スピリチュアルなどの「怪しい癒し」を完全否定しないのがミソ。臨床心理学も、野の癒しも、この世を生き抜くために考え出された知恵で、目指すところが違うだけなのだと思う。
そう、最初にライトノベルのようだと感じたのは、光と闇で対立していた登場人物たちが、俺とお前は一つの存在だったんだよ!なんて発覚するストーリーと重なったからかもしれない。良い悪いではなく、生きるために、笑うために、個々に向けてカスタマイズされたのが現在数多にある癒しの形態なのだろう。