集まりを主催する方法がわからない

phaさんの「持たない幸福論」に書かれていた居場所の作り方の一例に、「自分が主催者になる」という項目があった。
この本以外にも、小さな集まりを自ら作ることを勧める著者がいたり、現実で会ったことのある数少ない人々からも、集まれる場所を自分から作るといいよと話すのを聞いた。
落ち着けて、心安らぐ居場所は確かに精神の安定に大きく影響すると思う。ちょっとやってみたい。

が、そもそも人と集まってやりたいことがないことに気づく。
そしてやりたくない・できない理由はポンポン浮かぶ。

  • 行動範囲で既に行われている(例:AC自助会)
  • 居住地の人口が少ない故に、何か活動してどこの誰か知られるのが嫌だ
  • かと言って都市部に行くお金がない

振り返ると、家族ですら「外へご飯を食べに行こう」と気軽に誘えないのだ。
家族の場合、かつて自分が「◯◯へ行きたい」と行っても却下され、行き慣れた店へ半強制的に決定されるを繰り返した結果、主張するのを諦めるようになった経緯がある。
これが波及して、友人を誘おうとしても「きっと却下されるんだろうな」「否定されるんだろうな」という思考が先に働くようになった。

それでもどこかへ行ってみたい、やってみたい欲求は増えていく。そこでとった解決策が一人でやることだった。
全くノレない選曲と音痴さを披露するだけで疲労していたカラオケは、一人で行ったらすっかり楽しくなった。平日のフリータイムは、安い上に少しだけいる客は年齢層が高めで同世代はいなかった。最高だ。
喉が枯れたら歌わないで映像だけ流しているのも乙なものだった。
一人旅行は、長い時間黙々と乗り物に揺られるだけで満足した。着いた先で、地元にはなさそうな食べ物をちょこっと食べれば土産もいらなかった。お金はそこそこ、時間はたっぷりあるなら青春18きっぷを使ってまた長い距離を移動したい。
生活環境が変わってからは、金銭面以上に移動時間の折り合いをつけるために、安価な交通手段が使えないのが痛い。もっと乗っておくんだったと後悔を味わっている。
一人で昼食食べ歩きも好きだ。同行者がいると相手の財布事情を考えたりするが、一人で行く分には自分の懐事情だけ把握していればいい。味の雰囲気が怪しかろうが、まずは飛び込んでみることができる。気まずければ二度と行かないだけだ。つぶさに食べ歩き、当たりな店に出会った時はささやかな幸せを感じる。

ここまで書いてみて、やってみたいことの輪郭が少し見えた。アウトドアだ。
子どもの頃に父親や叔父叔母と登山をしたのだが、文句を垂れつつも振り返ると悪くなかった。良かった、と言い切らないのは、登り降りはやはりきつかったし、トイレが汚いのは嫌だったなーといった朧げな記憶があるからだ。
山でも海でも、瞬発力を求められずに黙ってやれるのはやってみたい。
やり方は本やネットで調べられても、不器用さに自信がある者としては、最初は経験者と一緒に行いたい。自然を舞台にした活動経験は特に乏しくて、一人では危なっかなしくて仕方がない。
しかし、それらを常日頃経験している人の顔は浮かぶのだがとても声が掛けられないのであった。