嘘はつける範囲で

小さな嘘を重ねた結果、更なる災難を招いてしまう物語を見た。
フィクションなのだけど日常で起こりうる状況が散りばめられていて、嘘をつかれた側は、偽りと知ることなくそれが真実だと受け取ったまま時間が経過する。
やがて雪だるま式に大きくなるにつれ誰も止められなくなっていく。
でも本当は嘘をついた本人だけは止められるチャンスがあったのだ。火に油を注ぐとはこのことで、嘘をついた本人は嘘に嘘を重ねてしまう。真実とは誰にとってのものなのだろう。

自身を振り返ると、嘘をついたことが無いというのは嘘で、嘘と分からない嘘しかつけないと表現した方が正確性がある。
辻褄を合わせられるほど賢くなくて、下手に喋ろうとしても文字通り声が出ない。
嘘同士の矛盾を潰していくだけで疲れそうと想像する身としては、息を吐くように嘘をつける人は天性の何かがあって、生存力が高いのではないだろうか。

嘘をつくことがある以上、嘘を見抜く必要が出てくることがある。
ネットの世界に限っても、うそはうそであると見抜ける人でないと難しいと述べた人がいたけれど、うそをつく技よりは嘘を見抜いた上でどうするかを考えられる力を培いたい。
なんて書いてしまうのが嘘っぽい。
取り急ぎ面倒ごとを避けるべくしてつく嘘は、無自覚のうちについてて気味が悪い(「君が悪い」と変換されてギクッとした)。
実は生き延びたい意思の表れであっても、それが小さいうちに死を覚悟して止めないと本当に死んでしまうのではないだろうか。大げさだけれども。
考える力の源は人生経験なのだろうけど、自分は見るからに貧弱で、よくこれで生きてこれたなあと思う。