スピリチュアルに縛られる前に

スピリチュアルは辞書wikipediaでは「霊的な」と記載されていて、日本のとある地域で数十年に渡り暮らしている者の体感としては、霊的、という表現をされると身近に思える。
自分には見えない何かが感知できないどこかに存在しているのだろうなとぼんやり思っている。

壺や水晶といった古典的イメージのスピリチュアルは興味も湧かない。
しかし微妙に形態を変えられるとすっかりハマりそう。
ちょっと背伸びしたら手が届きそうな価格帯の日用品とか、特別価格なんですよ、なんて通販番組みたいなアオリとか。
自分は霊感などなく、スピリチュアルを売りにする人の実力は全く察することができない。目の前で起こったことで判断するしかない。
基本的に判断力が鈍い、なのに鈍さに磨きがかかり気がつくと危ない橋を渡り始めている……なんてことが何度あっただろうか。

肉体的な疲れの時はスピリチュアルに頼りたいとは思わない。さっさと寝て食べて、それでも回復しなければまずは病院へ駆け込むだろう。
精神的に参っている時ほどスピリチュアルは寄り添ってきてなんとも心地よい。現実で凝り固まった体を綿で包んでくれるよう。
この綿が最高に気持ちいい。綿なら一気に乗せられても重くない。ああもう綿まみれになりたい。
そんな日々を送るうちに、綿で首を絞められる手前まで来てしまう。
温まってきたら、お礼を言って離れるくらいでいいと思うようになってきたのはかなり年月を重ねてからの話。