ひきこもり脱出と成功は別物

何者にもなれないことに通じる話。

高校を転学した頃から特に強くなったのは、ひきこもり状態に陥った以上は「成功」しなければならない思い。
ひきこもりor不登校だったけれど、かれこれあって今では◯◯という分野で上手くいっていますーというのが、ひきこもった者の最終形だと想像していた。
通信制高校で猛勉強をして有名大学へ進学し、大学では一躍認められて専門の地位を確立。
あるいは、学歴はなくとも才能を生かしていち分野で収入も力も認められるなど。

ひきこもりや不登校向けの情報を探して、最初の方で見つけたのがこういう例であった。
書籍化される事例もだいたい当てはまる。
後に発達障害を疑い、情報を辿った時もすぐに見つかるのは、「ADHDだけれども◯◯で活躍している△△さん」や有名芸能人の例を紹介したものだった。
そんな才能も環境もないわー!と正直思ってしまった。才能・環境以外にも、もちろん本人の努力はあったと思うのだが、そういう考えに至らないのが残念な人間である。

昔、通信教育のダイレクトメールがしょっちゅう郵送されてきて宣伝漫画をとりあえず読んでいた。
勉強が不得意だった主人公が、通信教育を始めたことにより成績(や他のことも)上昇!万歳!といった内容だった。
なるほど、成績優秀で卒業し進学することが理想なのだと思った。
通信教育の漫画は一般的な学校生活を想定しているようだったけれど、このようにひきこもりにも望ましい「卒業」の仕方があるに違いないとどこかで信じていた。
いやいや、現在進行形で信じてしまっているからこんな文章を書いている。

お前は理想が高すぎるといつぞや言われたことがあった。
本人としては理想が高いと思っていない一方で、ほんのわずかに残る冷静さが「理想を実現できるほど能力があるとでも思うか?」と問いかけてくる。
理想の下げ方、低空飛行な理想、現実の見方を、目の前の箱や手元にある板で調べてもピンと来ない。
どうも自分は目に見えぬものに縋りたいようだ。幻にも等しい理想でぼろぼろな精神的基礎をかろうじて繋いでいる。

派手な成功はしていないけれど生きていくには

遅れながら、小さな小さな失敗をするうちに、派手さや目立つことだけが「成功」の証ではないと分かるようになってきた。
これにいち早く気づいて、地味にコツコツと積み上げてきた人が、今現在目立って「成功」しているように映るのだと思う。
地味な成功、達成感を体験するところからがスタートで、つまりまだスタートラインにすら立っていなかったのだ。
まずはスタートラインに立つ練習、ぴったりくる心身の持って行き方を試しまくることからなのだろう。