何者にもなれないまま30代へ

物心ついた頃、親が何者かであってほしいと思っていた。例えば、財があるとか、どこかで名が知れているとか、専門的な職業についているなどである。
10代の頃は大人になれば何者かになれていると考えていた。湿気た人生に張りが生まれることを願っていた。
20代になると、何者かになれている人と話すと自分も何者になれるような気がした。
それから月日は経ち30代になったが、未だ何者かになれている感覚はない。

リアルでもネットでも輝いている人は溢れていて、その輝きに刺されないように耐えているのだが丈夫で頼もしい武器も盾もない。耐えれなくなったら岩陰に隠れて凌ぐだけだ。
この時に小さな灯りとなるのが「いつか何者かになれる」という思いだ。

思いに希望を託してはみるものの、現実ではある日いきなり何者かになれることはなく、名のある何かになった人々は、意識せずとも小さな何かをコツコツと積み重ねて花開かせているようである。
「小さな何か」は、勉強であったり交流であったり訓練であったりと色々だ。

何者かであると、他者に自身を紹介する時に「自分は◯◯です」と宣言できるのが魅力的に見える。
最初に入った高校を休学している時、在籍はしているし身分上は「高校生」ではあった。でも□□高校の学生と名乗るのにためらいがあった。
結局最初の高校は辞めることになり通信制高校へ転学することになった。今度は定期的に通学していたけれど、高校生と称していいのだろうか?と在学中は常に思っていた。
今振り返るとこの思いに至ったのは、制服を着て、毎日通学し青春を謳歌するのが「高校生」だと信じ込んでいたからだ。
だとすると、自分は一体何者なのだろう?何者でもないのにここにいていいのか?

高校を卒業し、大学生になり、社会人になったけれど常に名無しの存在である。
ごく当然のことだったのだが、どこかのタイミングで自動的に名のある者になると考えていた以上、あれ?あれ?と疑問は多々浮かべどもそのままぷかぷかと放置しているだけだった。
そのままにしているだけでは何も発生しないし、何かにはなれないことにようやく気づき始めた。いや、実は気づいたふりなのかもしれない。