理想の葬式を考える

入学式や卒業式はなんだか疲れるもの、というイメージが自分の中で固定されつつある。
結婚式は遠い他人事、機会があるならたまには見るものアリかなというもの。
いずれも自分から離れたものとして見ている。

葬式は、親の後始末が降り掛かってくるのは目に見えているし、何より自分が最期何らかの形で弔われる可能性がある。
万が一日本、あるいは災いで今住んでいる場所が消えたなら、放置されて朽ちるのを待つのみなのだろう。

記憶違いがあるかもしれないのでぼかすけれど、東日本大震災の当日、テレビをつけていたらある沖に数百人の遺体が打ち上げられたと速報が入った。
しかもそこは原発事故の影響で立ち入り出来ない場所だった。
死んだということもそうだし、放置されていることは頭を打ち付けたようなショックだった。

話は戻り、葬式に出たのは数えられる程度の数で、ほぼ親族のものだ。
初めての参列は曾祖父だった。祖父母の家に曾祖父は時折遊びに来ていて、何回か会ったことがあった。
年齢故か耳が不自由で、共通の話題だとか会話をした思い出はほとんどなかった。
幼い自分にとっては、おばあちゃんのおとうさん、という少し離れた認識だった。

通夜は故人宅だった。
広い畳の部屋に親族ほか何十人かが集まっていた。
お経が読み上げられる中、1時間以上は正座をしていた。
足がしびれはじめて、お経の終わりをまだかと待っていると、ようやくお坊さんの声が聞こえなくなったと思ったら法話が始まった。
宗派によるのかそのお坊さんが話好きだったのかは分からなかったけれど、法話がとにかく長かった。
終わりそうなタイミングがあったが、話は続くのだった。
悲しいとか寂しいとかよりも、早くお坊さんの話が終わってほしいという記憶が今なお残っている。

次の日は曾祖父の家で告別式を行い、親族で火葬場に向かった。
火葬場に行くのもこの時が初めてだった。
炉の前で、生身の身体と最期の別れをした。
大叔母は涙を流して悲しんでいた。
その時の火葬場は、チーズのようなもったりとした臭いが薄く広がっていた。

骨になった曾祖父を見て、火葬前は涙を流していた大叔母は「まあ〜!立派な骨だわ〜!!」とごく普通に感心の一言を発していた。
あんなに泣いていた人がケロっとしている。
えっさっきの涙なんだったの??と幼心にこの光景が記憶されることとなる。