学歴と勉強

学歴コンプレックスである。

そもそも勉強が好き(得意)だったわけではなく、覚えたことを紙に書けば、評価されることがあった。それも中学生までのことである。
勉強は数少ない「目に見えて評価されるもの」であった。外観でわかりやすいもの、例えば運動は下手(特に球技!)、音楽は苦手であった。交友の幅やコミュニケーションの取りやすさは皆無であった。

高校といえば、最初に入学した進学校は初っ端から勉学についていけなかった。ここで、唯一の命綱であった地元での履歴は消えた。
逃げるように別の高校に移り、学力は中学生レベル・コミュニケーション力は最低限でOKなゆるい環境で落ち着いた。
「まっとうな」学歴を求めて進学したのが大学である。ただし当時はいわゆるFランクの学校であり、学費の高い専門学校のようなものだった。数多にある大学から見たら、ひと吹きで飛ぶ学歴だ。
書類上は大学卒だが、その割に学問の経験は乏しい。実地経験は、中卒・高卒で働いた人を前にすると引け目を感じた。安っぽい強みだけが履歴書に刻まれている。

どの段階でも言えるのは、その学校にいる人間が全て自分のような特徴ではないことだ。例え外野からなんと言われようとも、輝かしい実績を残して次のステップに進んだ人たちがいた。このような人たちは、関わりの薄い自分のところにすら努力していることが伝わってくるのであった。

自分はいずれの段階でも腐っていた。どうにもならない、永遠に続く環境、打破できない不満……。これらを隠して生き続けていることが、とても息苦しい。なのに腐っていることを開き直れないのだ。生身で会う人に対して、臭い部分を見せたら最後、待つものは社会的死であると思わずにいられない。